「強運の法則」という高価な本を誕生日にいただいた。その本で何よりも考えさせられたことは「感謝」だ。私にはこの”感謝”というものが圧倒的に足りない。感謝について深く考えるべきがきたのではないかと感じている。誕生日にはお客様よりシャンパンをおろしていただいた。母や娘、親族、夫からもたくさんの愛をいただいた。そして親友にも。この親友だが付き合いは長く、自分の人生の半分以上も仲良くしていただいている。そんな彼女はケチだと私たち夫婦は感じている。ケチというのはこの本によれば「自己管理ができる優秀な人」なのかもしれない。だがお金とはどこを絞ってどこを緩めるのかはとても考えるべきことであり、彼女は少し人の気持ちがわからない人間なのではないかと前々から感じている。今回私の誕生日ということでご一緒してくれた彼女だが、化粧品会社に新たに勤めだして、そんなわけで「簡単に肌の診断をしてあげる」と、泊まっているホテルに来てはすすめだした。この「簡単に」という言葉だが、簡単とはどこからどこまでを指すのか?疑問だ。なぜならこの肌診断だが、アドレスから何から個人情報の入力をし、アプリのインストールなど面倒だと思われる作業をした上で肌診断に至り、夫を長々と待たせてまでもやる事では到底ないと思ったわけだ。肌診断の結果から自分の肌に合った化粧品がアプリより勧められ、これについては友達のお付き合いという気持ちも込めて高額だが購入させてもらった。だけど、彼女からの感謝の気持ちを1mmも感じれることはなかった。後日送っていただいた品物に付属してくれた手紙などにも感謝の気持ちのようなものはなく、むしろ”他のオススメの物も買ってもらった方があなたのためです”ぐらいの感じに受け取れた。彼女はやはり他者に対しての思いやりの気持ちが薄いのかもしれない。「感謝の反対は当たり前。」彼女は全てのことが当たり前なのかもしれない。私としては、これが引き金となり、彼女のような人と付き合うことに疑問を持ち始めてしまった。誕生日をお祝いしていただいたのは事実でこれはありがたいことだ。だからこのご恩は返さなければと当たり前に思うところでしっかり行動で示したいと思う。だが彼女とはこれが最後かもしれない。