日本では有名な「となりのトトロ」、最近では知らない若者が増えてきて寂しい気持ちではあるんだけど、でも日本の宝であり永久不滅だと確信してるからそれはよしとする。となりのトトロは「宮崎駿」という天才監督が産んだジブリを代表する作品だ。今「天才の思考/鈴木敏夫」の本を読んでいる。内容は宮崎駿と高畑勲という天才アニメーターを陰で支えた話しなんだけど、ジブリファンの私としては実に面白い。ちなみにジブリとは”株式会社スタジオジブリ、日本のアニメーション制作会社”のこと。ここから生まれた主な作品は「天空の城ラピュタ」、「風の谷のナウシカ」、「魔女の宅急便」、「となりのトトロ」、「千と千尋の神隠し」などなど、たくさんある。宮崎駿というド天才監督と高畑勲という天才開拓者の二人が才能をぶつけ合うことで生まれた作品の数々でもあるなと思っている。二人は出会うべくして出会ったんだと、天才には必然的に火付け役だったり、支えるものが現れるのかもしれないなとも思った。
この本を読んで面白かったのは作品の中で些細な仕草の違いが監督によってガラリと変わることだ。作品を観てる人にならわかるけど「平成たぬき合戦ぽんぽこ」、「火垂るの墓」においてはアニメの枠を超えてよりリアル感があったように思う。このリアルさを追求したのが高畑勲だ。彼は異常な追求者であって、だからこそ周りから理解されず怖がられていたことだろう。「耳をすませば」の監督”近藤喜文”は高畑勲に対して「自分を殺そうとした・強烈な恐怖を感じている」などという言葉を残している。
私はジブリ作品の中でもっとも好きなのが「耳をすませば」だ。苛立ちやトキメキ、浮き沈みの激しい感情、誰もが過ごしたであろう青春時代、そんな瞬間に戻った感覚になる。猫を追いかけた先に起こる冒険、素敵な男の子と重なる思い、この作品は少女心を満たしてくれる。物語構想及び脚本と絵コンテは宮崎駿が務め、監督には近藤喜文が宮崎の推薦により就任した。近藤喜文もまた凄腕のアニメーターだったようで二人からも一目置かれていた。主人公である雫の一つ一つの動作や行動に現代的で品のある女の子らしいパーソナリティを与えたのが近藤喜文である。彼は発表後まもなく47歳という若さで死去したため本作が唯一の映画監督作となったのだ。宮崎駿の描く雫はパンツがフワって見えても気にしない子供のような女の子であったのに対し、近藤喜文が描いた雫はパンツが見えてしまうのを事前に防ぐ大人な子供だった。女性として共感が持てるものが映画の中に散りばめられていたのかもしれない。もっとも好きな作品の真相が知れてとても良かったなと思った。
彼は同じ時代に非凡な天才二人と一緒に過ごしたことで光と闇を全身で感じたことだろう。髪の毛がなくなってしまうほど労力を使いながらも素晴らしい作品を監督され、ファンとして心より感謝します。そしてご冥福をお祈りします。
最後に作者の鈴木敏夫もプロデューサーとして非凡な才能と先見の目を持っていたのも事実だと思う。同じエネルギー同士は惹かれ合う、類は友を呼ぶのでしょう。